20160613


"失敗"という言葉について考えてみると、多くの人は「失敗は成功のもと」ということわざを思い浮かべるのではないでしょうか。

 

 

失敗することによってやり方を改めることができ、かえってその後の成功につながるという意味から、落ち込んでいる人を慰めたり、次の一手を考えたりするときに使う言葉ですね。

その例として有名なのがエジソンのエピソードです。

 

 

発明王エジソンは電球を発明するまでに約16000回の失敗をしたといわれています。

そのことについて、「私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ」と言ってのけるあたりにエジソンの心の強さがうかがえます。

 

このように、成功と失敗をセットで考えることができると、小さな失敗は歓迎すべきものと捉えることができます。

 

 

 

 

しかし、私たちの周囲に目を向けてみると、大人の世界でも子どもの世界でも失敗をすることで叱られたり、罰を与えられたりすることがたくさんあります。

 

そのことが、失敗はマイナスであるという意識を強くしてしまい、人の可能性を固い殻の中に閉じ込めてしまうことになります。

 

 

特に気をつけなければならないのが、「失敗に対して罰則で応える」ということです。

罰というのは当然、本人にとって喜ばしいことではありません。

ですから、罰を与えることで相手に一時的な反省を促すことはできます。

 

ところがその後、罰を与えられた側に強く残るのは、「罰はいや」だという感情です。

すると、その人は失敗を避けるようになり、新しい物事に挑戦しなくなったり、失敗を隠すようになったりします。

ときには、このことがさらに大きな失敗を生み出す原因になることもあります。

 

 

そのエピソードとして、2005年にJR福知山線で脱線事故が挙げられます。

これは、運転士が過去に受けた"懲罰に近い教育"を避けるために、遅れた時間を取り戻そうとスピードを出しすぎたのが原因ともいわれています。

 

もし、この運転士が過去に失敗したときに、懲罰ではなく、本人の目の前が明るくなるような対策のための指導を受けていれば、この事故は防げたかもしれません。

 

失敗をしたときに大切なのは、罰を与えることでも、「なにやってるの!」と叱ることでもありません。

当人と周りが一緒になって「どうして失敗したんだろう」「次はこうしよう」と考えることです。

 

 

これが教育です。

 

 

教育とは、失敗しない方法を学ぶことではありません。

多くの失敗をし、その失敗の中から知識や経験を得ることです。

新しいことが出てきたら、「失敗したらどうするの」なんて言わなくていいのです。

失敗したら一緒に考えればいいのです。

 


どんどん挑戦し、次々と考えていく。

前向きな思考力をお子さんと共に作り上げて

いきましょう。

 

 

エジソンは、元々優秀だったから発明王になったのではありません。

今でいう、LD(学習障がい)やADHD(注意欠陥多動性障がい)であったといわれ、学校からも父親からも見放されていました。

それでも母親だけは、知りたがりのエジソンが理解するまで徹底的に教え続けました。

そんな母の愛情がエジソンの好奇心を育てていったからこそ、発明王としての基盤ができていったのです。

 

 

子どもにとって、親の理解は何よりのエネルギー源となります。

 

失敗を共に喜び、わくわくしながら次の手を考えていきたいものです。